節分には豆まきと恵方巻。
節分は分かりますが、恵方巻っていつに間にか時期が近づくとコンビニやスーパーに大量に並んでました。
そしてメディアでも取り上げられるようになって、周りでもみんなあっちこっち向いて恵方巻を食べています。
実際に恵方巻はいつから始まったもので由来は何か、疑問に感じている人も多いと思うので、この記事で解説しています。
意外なルーツも紹介しているので、ぜひ参考にしてくださいね♪
もくじ
恵方巻っていつから始まった?

恵方巻のルーツに関しては諸説あり、はっきりとこれと言えるものはありません。
ただ、そのなかでも有力なルーツを紹介します。
①大正時代の始め頃
大正時代の始め、大阪では縁起のいい方角を向いて、お新香が入った海苔巻きを食べていたそうです。
これが恵方巻の起源ではないかと言われていますが、風習と言われているだけで、「恵方巻」としての定義がしっかりあったわけでは無いんです。
まあ、海苔巻きの流行った食べ方 くらいの捉え方だったと思いますねw
②大阪の船場が発祥

これは昭和以前の話ですが、大阪にある船場の男衆が遊女と巻き寿司を使った遊びをしていたそうで、それが話題になり一般大衆にも流行ったという説です。
もう、怪しげな雰囲気しかありませんねw
ただこれが最も濃厚な説なのですが、どこから太巻き=縁起物に変わったのかは謎です。
③大阪鮓商組合後援会によるチラシ

昭和7年、大阪鮓商組合後援会が発行したチラシに、女性が太巻きを頬張るイラストの横に「節分の日、その年の恵方に向かって巻き寿司を丸かぶりすると幸運に恵まれる」と書かていました。
特に縁起物に関する根拠はなく、完全に商業向けに「恵方巻」を浸透させる目的ですね。
ただこれが今ぼくたちが知っている「恵方巻」に対して一番近い形かなと。
本当は縁起物では全くなかったのに、商業協会の狙いで、縁起がいい食べ物にすり替えられたんですね!
恵方巻が全国に広まった理由

関西の方で広まった「恵方巻」ですが、今や全国的にも豆まき同様、節分の恒例行事となっています。
もとは遊女の遊びからきている「恵方巻」
全国展開にはある企業がかかわっていたんです。
①コンビニエンスストアの存在

コンビニエンスストア大手のセブンイレブン。
1989年、広島県にある一つの店舗で「太巻きを節分に」というコピーと一緒に「恵方巻」を販売しました。
2月の催事が節分しかなく、何か売れるものをと考えた時にオーナーが「恵方巻」文化に目を付けたんです。
それが徐々にヒットしていき、今では全国のセブンイレブンでは、1年で660万本を超える売り上げに成長しました。
②ほかのコンビニやスーパーも便乗

セブンイレブンでの「恵方巻」のヒットにあやかって、ローソンやファミリーマートも徐々に「恵方巻」を全国展開にしていきます。
もともとファミリーマートはセブンイレブンより前に「節分巻き寿司」として太巻きを売っていたようです。
しかし、「恵方巻」として広まってしまった巻き寿司を「節分巻き寿司」で売ることができず、セブンイレブンと同じ「恵方巻」に名前を変え販売していったそう。
ファミリーマート側からしたら、後から出てきたセブンイレブンに乗っかる形は悔しかったでしょうね・・・
恵方巻の意味って何?

では実際に「恵方巻」とは何なんでしょうか。
先ほどもお伝えした通り、節分に食べる太巻きのことを「恵方巻」と呼び1998年広島のセブンイレブンが売り出しました。
この「恵方巻」という名前を作ったのもセブンイレブンのオーナーなので、「恵方巻」という言葉に歴史や有難さはあまりないんですね。
恵方巻の「恵方」とは
陰陽道(おんようどう)で、その年の干支(えと)にもとづいて、歳徳神(としとくじん)のある方向を吉の方向として定めたもの。
正直聞きなれない「恵方」を辞書で調べたところ、上のように出てきました。
難しい漢字が多くてよくわかりづらいですが、要するに
「毎年変わる、めっちゃ縁起がいい方向」のことですw
縁起がいい言葉なので、そのまま商品名に付けてしまえ!!という関西人ならではの発想がヒットの要因になったんですね!
太巻きを年によって変わる恵方を向きながら食べる。
だから「恵方巻」という名前になったということです。
まとめ

以上、恵方巻のルーツに関してまとめると
■明治初期、大阪の船場で太巻きを男衆が食べていたのが流行ったのが有力だが、定かではない
■もともとは遊女遊びの可能性も・・・
■商業協会のマーケティングとしても使われていた
■全国展開はセブンイレブンのおかげ
ということが分かりました!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2020年の恵方巻に関して、食べ方やルール、疑問について書いた記事も載せておくので合わせて参考にしてください!